子どもへの愛情は足りてる?元保育士が人見知りの娘を育てて気づいた本当のこと

愛情 足りてる 人見知り 💛ママの気持ち

「うちの子は人見知りが激しい…。私の愛情ちゃんと足りてるのかな。届いているかな。」

子どもの人見知りが強いと、ふと心配になることはありませんか?

実は私も…そんな気持ちになり、なぜだ?と考えることがありました。

保育士として働いていた頃は「人見知りはその子の個性」と考えていたのですが…

私の娘は年中になった今でも、初めて会う人にはなかなか目を合わせられず、挨拶も進んでしようとしません。

挨拶しなさい、なんて言われてもしたくないのよ。

そりゃそうさ。

この記事では、「子どもの人見知り」と「親の愛情」は本当に関係があるのかについて伝えていきたいなと思います。

「うちの子は人見知りだけど、愛情足りてるのかな」と不安になっているママやパパが、子どもの姿を少し違う角度から見られるきっかけになればと思います。

愛情は足りてる?人見知りとは違う、安心を求めていた子の特徴

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人見知りな子どもはどうして自分を出さないのか。出せないのか。

隠しているわけではありません。

保育園には、元気いっぱい走り回る子もいれば、周りの様子をじっくり見てから遊び始める慎重な子もいます。

朝、お母さんと離れるのが寂しくて涙を流す子もいます。

逆にへっちゃらで親の方が別れ際さみしくなってしまうなんて子もいます。

子どもの性格も行動も、本当に一人ひとり違います。

だから私は、「人見知りだから心配」「人見知りではないから安心」と考えたことはありません。

そして実際、保育現場で私が気になっていたの子は、「安心して自分らしさを出せているかな?」という点でした。

表情よりも気になったのは「大人の顔色をうかがう姿」

子どもと話すとき、その子の目を見て話しますよね。

私もですが、目を見ると分かります。

ドキドキしているかも、表情は固くて緊張してるかも、この子は私の話しにすぐに返事をしてくれる。

など、顔色を見ていたらなんとなく分かるのです。

あっ、今おしっこしたいな!とか。笑

そして、大人の反応を気にして話をしたり、行動する子もいます。

例えば、

  • 遊びたいの気持ちがあるのに先生の顔を見て我慢する
  • 「これしてもいい?」と何度も確認する
  • 失敗を極端に怖がる
  • 怒られていないのに「ごめんなさい」と言う
  • 「やりたい」より「怒られない」が先になってしまう

もちろん、このような姿だけで子どものことをわかった気になっているのではありません。

子どもの気質や体調、その日の出来事など、さまざまな要因が影響しているとも思います。

それでも毎日関わる中で、「この子は安心して失敗できてるかな」「甘えたい時に甘えられているかな」と感じる場面は何度もあります。

私は「愛情が不足している」という心配ではなく、安心して気持ちを出せる環境があるかという視点を大切にしたいと思っています。

母親になった今は、保育士だった頃以上に、その大切さを実感しています。

妹の子どもが「眠いのね」というサインに気付き、妹にそろそろ電池切れだね、なんて言ってしまったり。見てると分かるよね。

人見知りとは違う「自分を出せない」様子

保育園には、人見知りの子はたくさんいました。

朝はお母さんの後ろに隠れていた子が、しばらくすると友達と笑いながら遊び始める。

最初は緊張していても、安心できると少しずつ自分らしさが出てくる。

そんな姿を何度も見てきました。

一方で、慣れてきても、

  • 自分から遊びに入ろうとしない
  • 困っていても「助けて」が言えない
  • うれしい、悔しいなど感情を表現することが少ない
  • 自分の気持ちより周りを優先してしまう

そんな様子が続いている子もいました。

この子お家で安心できているのかな、ちゃんと甘えてるかな、と心配になってしまうときもありました。

子どもの発達や性格、生活環境など、さまざまな背景があるのでお家のことはわかりません。

ですが、どうしたらこの子が安心して『やってみたい』『助けて』と言えるようになったらいいな、と思い子どもたちに関わっていました。

当時は保育士として子どもたちを見ていましたが、母親になった今、その経験を思い返すたびに感じることがあります。

安心して自分を出せないことと、人見知りは関係ない。

私はそのことを、人見知りの娘を育てる中で経験させてもらいました。

人見知りが強い我が子を育てて気づいた「愛情は足りてる?」の答え

保育士だった私は、いろいろな子どもたちの姿を見てきました。

だから、母親になって「この子の個性なんだ」と落ち着いて受け止められると思っていたのです。

でも現実は違いました。

我が子のことになると、保育士としての知識よりも、母親としての不安や心配のほうがずっと大きかったのです。

「このままで大丈夫かな。」
「いつになったらもっと笑顔になれるのかな。」
「なぜ積極的になれないのだろう。」

そんなことを何度も考えました。

今、初めて子育てをしているパパやママが不安になるのは当然だと思います。

だからこそ伝えたいのは、親の心配は子どもに伝わります。

親が心配でいたら子どもも不安になってしまう、そう思って接してあげると自然と前向きに進めるのではと感じるのです。

人見知りだった我が子|「愛情は足りてる?」と悩んだ赤ちゃん時代

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我が子は赤ちゃんの頃から、とても慎重な性格でした。

児童館へ行けば私の足にしがみつき、支援センターでは知らない子が近づくだけで「ママ抱っこ」と手を伸ばします。

初めて見るおもちゃにも、すぐには手を伸ばしません。

保育士だった私は、「そのうち慣れるよ」と保護者の方へ声をかけていた立場でした。

だから、自分の子どもも自然と慣れていくものだと思っていたのです。

ところが、現実は違いました。

周りの子が元気に遊んでいる横で、娘はずっと私にしがみついている。

「うちの子だけ、どうして…。」

そんな気持ちになることが何度もありました。

「成長すれば変わる」と思っていましたが、それはまた違ったようです。

娘の姿に「もっと社交的になってほしい」と思っていました。

家ではとっても積極的!社交的なのですから。

たくさん笑って、たくさん話し、家族には思い切り甘えます。

ふざけ合って笑い転げることも珍しくありません。

その姿を見て、私はやっと気づきました。

外で見せる姿だけが、その子のすべてではないということ。

そのことを、娘から教えてもらいました。

いいじゃない、人見知りしたって私に見せる姿、家族に見せる姿はまた別なんだから。

特別じゃん♡と思たら、最強じゃない!と。

「人見知り=愛情不足」ではないと我が子が教えてくれた

新しい場所へ行くと、まず周りをじっくり観察します。

先生はどんな人かな。

ここは安心できる場所かな。

そうやって自分なりに確かめてから、一歩を踏み出すタイプの我が子。

安心できると分かれば、笑顔が増え、友達とも遊び始めます。

子どもにはそれぞれ自分のペースがあるのです。

大人にも緊張しやすい人がいるように、子どもにも安心するまで、心を許せるまで、時間が必要な子がいます。

私は、子どもが「できるようになること」よりも、「安心して挑戦できること」を大切にしたいと感じています。

「みんな違ってみんないい。」この言葉、大好き!

元保育士だった私が母親になって感じたこと

母親になって気づいたこと。

保育士として子どもたちを見ることと、我が子を育てることは、まったく違うということです。

現場に立つと一人ずついろんな姿がありそれでいい、それがいい、と思って見守れていました。

ところが我が子になると、周りと比べて落ち込み、「どうしてこうなのかな?」「私の何がいけなかったのかな」と自分を責める日もありました。

保育士という経験があっても、母親になれば悩みは尽きません。

それでも娘のおかげで私の価値観は少しずつ変わりました。

保育現場で見えていた景色と、母親になって見えた景色は同じではありません。

だからこそ今は、一人の母親として感じたこと、見えた世界があります。

娘に保育園の先生になろうと思うと伝えると、全力で拒否。理由はみんなのママになっちゃダメだそうで。

なんて可愛いことを言ってくれるのかしら。

じゃああなたが小学生になったらいい?と聞くと、娘といる時間が減るでしょ?だからダメ!らしいです。いまの気持ち。

きちんと受け止めて子育てに向き合うね。ありがとう。

まとめ:愛情は足りてる?人見知りだけでは分からない大切なこと

「子どもへの愛情は足りてるのかな。」

そう悩みながらこの記事を読んでくださった方へ、最後にお伝えしたいことがあります。

今まで保育士としてたくさんの子どもたちと関わり、今は母親として一人の娘の人見知りを通して私が実感したことがあります。

人見知りなだけで愛情の深さは測れません。

もちろん、いつも大人の顔色をうかがったり、自分の気持ちを出せず苦しそうな様子が続く場合は、一人で抱え込まず、園の先生や地域の相談窓口に相談することも大切です。

もし今、「愛情は足りてるのかな」と不安になっているなら、家で見せる笑顔や甘える姿にも目を向けてみてください。

お家と外での姿は違って当たり前。

親子で積み重ねてきた安心がきっと見えてくるはずです。

今日の我が子と昨日の我が子、どちらももう戻ってこない時間ですよね。

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